まあ、この質問が浮かんでくるということは
あなたは、今の自分自身が好きではないのでしょうね・・・
これは、人それぞれ個性がありますから、
「こうすれば必ず自分が好きになれます。」
というのは今の私にはわかりません・・・
ただ、私の体験を話すので参考にしてもらうこはできるかもしれません。
私も自分が嫌いでした、少なくとも好きではありませんでした。
子供のころから、兄、弟が優秀で、自分は勉強ができない・・・
兄、弟はとても集中して勉強に励んでいた、
私は集中せずに怠けて、勉強をサボった・・・
「学歴社会なんだから、いい大学に行かないと将来困る」
と親から言われて、納得もしていた・・・
だけど、勉強から逃げた・・・
予想通り、社会に出てから、仕事は辛かった・・・・
でもそれは、怠けていたむくい・・・
学歴社会における大きな罰のよなもの・・・
私は今、罰を受けているんだ・・・
罰なんだから労働が過酷でも受け入れろ・・・
サービス残業で会社に貢献するんだ・・・
俺は囚人だ、囚人には権利はない・・・
親の死に目にも会えない覚悟でやる・・・
自分の全てを犠牲にする・・・
足の骨を折っても松葉杖でできる作業はしよう・・・
休息は死んでからいくらでもとれる・・・
そんな風に働いていたら本当に仕事中倒れた・・・
頭が真っ白になり、手が震えていた・・・
精神科で適応障害という状況だと言われた・・・
会社を休職した、また、人生から逃げた・・・
休職をしながら、
「自分に何が起こったのだろう?」
と考えた・・・
カウンセリングというものも受けてみた・・・
心理学や心の本をたくさん読んだ・・・
復職したが、半年でまた倒れた・・・
何がいけなかったのか、また考えた・・・
最初に休職してから、約一年くらいがたった・・
色々心理学を学び、自分を知ることができた・・・
存在価値や、過去は自分で都合のいいように決めている
という色々な概念を知った・・・
その概念から、また自分を見つめた・・・
あるとき気が付いた・・・
きっかけは「ついている」脳の概念を学んでいるときだった・・
今までの出会い、人との出会い、経験との出会い、本との出会い、
それらはみな、「ついている」んですよ?
「ついている」って言ってみましょう!!
のような言葉・・・
「ん~、俺ついてるのか?」
「確かにカウンセラーの先生と出会えて、
心理学の色々な概念に出会えてついているかな?」
「でも、休職したり、倒れたことはついているのか?
辛かったじゃないか・・・」
「いや、待てよ?俺が休職しなければ
この出会いは全てなかったのか・・・」
「待てよ、待てよ・・・兄と弟が勉強できて
自分が勉強できないという状況がなければ・・・」
「自分が学歴社会を認識しながら、
勉強をさぼってこなければ・・・」
「会社で馬車馬のように働かなければ・・・」
「あ、ああああ!!」
「そうか、全ての出来事があったから、
今この感覚や概念を感じられるのか!!」
「辛い言葉を投げてきた両親、会社の上司、
その存在もなければ今の俺はないのか!!」
「なんということだ!!オセロでほとんど
黒色が全てがひっくり返り白色になった気分だ!!」
「これが人生の転換というものか!!」
「そして、そして、
今俺はこの考えに到達している、
俺自身がとてつもなく好きだ!!」
「仮に、『あなたの感じている自分への好きは偽りです』
と誰かに否定されても気にならない」
「なぜなら、今、自分が自分の事を好きであることは、
俺以外の誰かが決めることじゃないからだ!!」
「・・・・・・・・・!!」
・・・
・・・
・・・
これが、私が自分自身を好きになった瞬間の思考です・・・
どうでしょう?
なにか参考になればいいのですが・・・
因みに、私がこういった自分の思考や概念を外に向けて発信するようになったのも、
自分が好きで好きでたまらないからです(^^♪
あなたがこの文章や私の考えを聞いてどう感じるのかはあなたの自由なのです。
「そんなの全部嘘っぱちだ!!」「あなたの考えは認めない!!」
と思われて、私にその言葉を投げかけても、
私は「そうですか・・・理解してもらえず残念です」
「まだまだ伝え方が下手だったのかな?まあ工夫はまだ必要かな?」
と思うと思います。
要は相手がどう思っても気にしません。
じゃあ何でわざわざアウトプットするの?というと、
私以外の人に、この思考や概念を聞いて理解してもらい、
その上で更なる議論が重ねられ、また真理の一つに近づければ
私はより自分を知ることができ、そして自分をより好きになれると思ったからです(^^♪
どうでしょう?
人にどう思われるか気にしないという概念、ご理解いただけたでしょうか?
自分自身を好きになる、そんな感覚になれるよう
お祈りしています(^^♪