過去は自分の都合のいいように決めている
過去にあったことは全てが事実ではなく、
自分が今、そうであったと決めているから、そう思い出す。
そう聞いてどうでしょう?
「いやいや、絶対に○○って言われた、
イメージも残っている、それが事実!!」
という感じでしょうか?
勿論、あなたが嘘をついているとか
そういう話ではありません。
心理学者でもあり精神科医でもある
アルフレッド・アドラーが体験した例を出しましょう。
アドラーは子供のころ、学校の通学路にある墓地が怖くて、
回り道をしていたそうです。
しかし、あるとき、勇気を出してその墓地を通ったらしいです。
そして、大人になった同窓会で、同僚にその話をすると・・・
「アドラー、学校の近くに墓地なんて無かったよ?」
とみんなに言われた。
え?ホラーの怪談話?
いえいえ、要するにアドラーは
恐怖を克服する過程で「子供の頃、墓地を克服した」と
記憶を捏造していたという話です。
もちろん、アドラー本人は捏造している感覚は全くありません。
今度は私の実体験をお話します。
私は子供の頃、親から
「何で勉強ができないの?うちの子じゃないみたい・・・」
という言葉を聞いて育ってきました。
私には兄と弟がいますが、二人とも勉強がとてもでき、
東京大学に進学できるレベルでした。
「俺だけ勉強できなくて何かごめん・・・」
「確かに兄と弟ほど、努力していないし、何か申し訳ない」
「結局親が望んだ大学には進学できず、
俺だけ圧倒的な落ちこぼれだ・・・」
「これは、一旗あげないと家には帰れないかな・・・」
など考えいました。
そして、
会社に尽くそう!!
偉くなって親兄弟を見返して、堂々と家の門を潜ろう!!
(家に門はないけど・・・(^^♪)
そんな気持ちで20年くらいひたすら無理をしました。
結果、倒れました、適応障害という診断でした。
会社を初めて休職しました。
カウンセリングや本などで色々学び、
実家に帰る勇気がでました。
「そんな根性なしなら帰ってこなくていい!!」
「這ってでも会社に行け!!」
と非難もされる覚悟で帰りました。
しかし、結果は
「無理なら仕事辞めて家で暮らしてもいいんだよ?」
「こっちは求人がすくないから働き口を見つけるのは大変だけど・・・」
のような言葉が返ってきました。
両親との話し合いで私から、
「会社に認められたくて、がむしゃらに働いてみたけど、
それが悪かったみたい・・・」
のような内容を親に伝えました。
「そうなんだ・・・そんな極端なこと考えていたんだね・・・」
うろ覚えですが、そんな答えでした・・・
な、なんですと!?
「俺の知っているあなたたちはそんなではない!!」
「なんで、非難しない?」
「病人だからって遠慮しているのか!!」
「根性がないとか言え!!」
「辛いかも知れないけど、仕事なんだから我慢しろって言え!!」
などの言葉が頭をめぐりました。
しかし、言葉にはしなかった・・・
いや、できなかった・・・
まず、嬉しかった・・・
そして楽になった・・・
足かせや手かせをはめているような人生の枷が取れた・・・
そう・・・
元々「自分の家に帰るには資格がいる!!」
なんて話は無かったのです。
誰も「勉強ができなければ、うちの子じゃない・・・」
なんて言っていなかったのです。
まあ、そりゃあ、「勉強しろ!!」や「うちの子じゃない!!」
などの感情的な一言や二言はあったと思いますよ?
アドラーの言葉を借りれば
今までの私は、
「勉強できなければ、うちの子じゃない」と言われてきた過去を必要としていて、
今の私は
「そんな言葉や現実はなかった」という過去を必要としているということです。
心理学的概念は置いておいても、
私は本当に楽になった、
まず食事が格段に美味しくなった。
同じものを食べていても2,3倍は美味しく感じる。
以前の私は、オーバーに言えば囚人飯を食っているイメージでした。
「やることをやっていない」
「やることから逃げている」
「休息や味覚を味わっている暇なんてない」
「一分一秒を惜しんで成功にしがみつけ」
「飯は最低限の栄養摂取であり、娯楽ではない」
そんな考えで30年以上食事をしていました。(ちょっと盛っていますけど・・・)
いずれにしても、娯楽やゆとりを味わって生きていいと感じました。
どうでしょう?
「過去は都合のいいように自分が決めている」という概念
ご理解いただけたでしょうか?
この概念を理解していただき、あなたの過去への思いが
少しでも楽なものになればよいと、
祈っています(^^♪