意識とは幻想|受動意識仮説

意識はどういうメカニズムなのか

仮に、リベット実験が科学的事実だとして、「今、私が意識しているこの感覚、感情、意思、思考、を実際感じている」(脳科学ではこれを”クオリア”と呼ぶので以下クオリア(質感)とします)
この、思っている意識、デカルトの「我思う故に我あり」で意識できるこの感覚、クオリア(質感)はどういう現象なのか?
100%科学的に証明されているわかけではありませんが、私は、現在慶應義塾大学の教授である、前野隆司教授の「受動意識仮説」で説明できると思います。

※前野教授に許可をもらっているので、大学でのセミナー講座の動画と著書を紹介させていただきます。

動画はこちらクリック https://www.youtube.com/watch?v=Ox8gJEIe5Ac&t=3470s

著書、「脳はなぜ「心」を作ったのか」 「錯覚する脳」 「脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?」他にもありますが、受動意識仮説がメインなのはこの3冊です。
そして、この並び順で読んでもらえると一番理解しやすいとのことです。
前野教授の専門はロボット工学で、ロボットに心を持たせるには・・・とういう目標から、人間の心とはなんなのかを科学的に研究されてこられた方です。
心を科学的に検証している内に、「あれ?意識って幻想なんじゃないか?」と仮説を立てられたとのことです。
受動意識仮説でキーワードとなるのは、「無意識」「エピソード記憶」です。

 

無意識とは

無意識とは、私のブログでも何度か出てきている言葉ですが、簡単に説明すると、心理学者のフロイトが発見した意識です。
一番わかりやすいのは、心臓の鼓動は、無意識で動かしているという説明でしょうか・・・
目の前に物が飛んで来たら、思わず避けたり、目をつぶってしまう、反射なども無意識です。
歩く動作も無意識です。
右足の腿の筋肉に力を入れて、右ひざがの角度が90度になったら、上半身を進行方向に5度傾けて、地面と右足の裏の距離が30センチ以下になったら、右足の踵から落ちるように足首の角度を調整して・・・一歩を踏み出す。
次に、左足の腿の筋肉に力を入れて・・・・
なんて、細かく意識して歩いていませんよね?(^^♪
そもそも、動くときに筋肉を細かく収縮させて動いているって感覚全くないですよね?
そう考えていくと、ほとんど無意識なんです。
心理学の解釈では95%くらいが、無意識で、5%くらいが意識(顕在意識)だとされています。

 

氷山無意識

 

そこまでは、私もカウンセラーとしての勉強で学んでいました。
「95%も無意識で生きているのか・・・」と驚かれる方もおられるかもしれませんね。
私も勉強して始めて知った時は、「え?逆じゃなくて?5%が無意識で、95%が意識なんじゃないの?」と思いました。
無意識が95%くらいである・・・ここまでは、いいでしょうか?
100年近く前から言われていることなので、それほど異論はないと思います。

しかし、受動意識仮説では、この無意識が100%だという主張になります。
意識は能動的(自ら進んで働きかける)ではなく、受動的(他から働きかけられる)であると言っているわけなので・・・

全ては無意識がしている。という立場です。
もう少し正確に言えば、

 

「リベット実験などの科学的事実から仮説をたてると、そう考えるのが自然である」という立場です。

 

前野教授は
「意識を川に例えるなら、上流の源泉各所で湧き水の量を全てコントロールして、下流での流れ方や流れる水の量を決めている。というイメージしづらい(かつ脳の情報量オーバー)状態であるより(図1)

意識の上流

図1

上流で源泉各所から勝手に湧き出てきた水が、自然に集まって大河になり、その結果を下流の『私』が眺めているだけ。と仮定すると、多くの現象の辻褄があう」と言われています。(図2)

意識の下流

図2

これを具体的に、今のあなたの意識に例えると、
「鈴木のブログを読むぞ」と意識をされたわけですが、
図1のように、
「今日はインターネットで新しい概念を知ろうと決めた、検索していたら、鈴木のブログにたどり着いた、『意識は幻想』と題名がある、
どういうことだ、意識はあるは間違いないのに、何が幻想だというのだ!?疑念の気持ちが高まったことを確認したので、8割がた否定的な感覚でこのブログを読むことを決めた。」
などのように、事細かい動機の基、今ブログを見ているのでしょうか?
どちらかというと、図2のように
ボヤっとネットサーフィンしていたら、ボヤっと気になる題名が見えて、ボヤっとクリックしてみて、まあ、何かの参考にはなるかも・・」くらいな感覚だったのではないでしょうか?
ブログを紹介されて見ている方も、
ボヤっと時間できたし、なんか鈴木が言っていたし、まあ読んでみるか・・・」くらいの感覚ではないでしょうか?
どうでしょう?
受動意識仮説のイメージはつかめたでしょうか?
前野教授は、ダーウィンの進化論から言っても、昆虫(反射やちょっとした記憶)→魚類に始まる脊椎動物(反射、記憶に次いで学習くらいはあるが、多分意識ない)→鳥類や霊長類(反射、記憶、学習ある、多分意識ある)、当然全て受動的な反応といった進化で環境に対応してきているのに、
急に→人類(反射、記憶、学習能力、自己意識ある、しかも能動的な意識)となるのはあまりにも不自然。
このステップには、無意識の神経を全てコントロールする指令塔のような今までにない神経回路が、霊長類から人類に進化する際急に出現することになり不自然。

進化

しかし、受動的な意識は変わらず、結果を観測するだけのシステムだけ進化したと考えると自然。
川の図で言うと、川は元々流れていた。その下流に観測者が座って流れを認識する仕組みは難しくない。
逆に、全ての源泉の水の量を把握するような仕組みは難しく(現実的に不可能)進化論に反する。

というような解釈も言われています。

「意識は幻想である」を、この川の例で言えば、大河の流れを見て確認している観測者である。と言えます。
しかし、その観測者が

「私は川を見ているだけじゃないよ!!源泉の水の量や、川の形や速さ、全て決めてきて、その思い通りの結果を見ているのさ」
と本気で信じている状態が、我々が「意識がある」と感じている正体です。

 

他の例で言うと、会社を自分の身体だとします。

会社 起業

 

そして、自分が会社を動かしているワンマン社長だとします。
この時、「ワンマン社長こそが自分の意識である。だって実際に考えて手足を動かして行動しているのだから。」
というのが、今まで言われてきている概念。川の例で言えば上流の源泉を全て管理して川の流れを管理していると思っている図1.
受動意識仮説の概念で言うと、会社の社史編纂室(会社の歴史を資料にまとめてたりする仕事)の担当者が受動意識仮説が主張する意識になります。
イメージは、社史編纂室の担当者が会社の資料を整理しながら急に、

「この仕事、社長の俺が考えて、実行して成功に導いた仕事なんだよね」
と大声で言っているようなものです。しかも、本気でそう信じて・・・

編集者

 

この社史編纂室の担当者の脳裏にあるものは「幻想」以外の何物でもないですよね?
ものすごく滑稽で哀れに見えるかもしれませんが、これが今、我々が意識だと認識しているものの正体なのです。

どうでしょうか?
意識は受動的に無意識が実行した結果を眺めて認識しているだけの存在という結論がお分かりいただけたでしょうか?
直ぐに全てを理解するのは難しいと思いますが、今は、漠然と「脳科学的にはそうなのね」くらいに留めて次に行きましょう。

次は、「結果を見るだけの存在なら、じゃあ何で、わざわざ意識なんてものが必要なのか?」という話です。
川の例で言えば、下流で座り込んで流れを見ているだけの存在なんて、必要なのか?という話です。
会社の例で言えば、社史編纂室の担当者は本当に必要なのか?という話です。
(実際に社史編纂室で働いている方の必要性を問うているわけではありません。説明上の例だと認識して下さい。社史編纂室も立派な仕事です)
というのも、別に確認しているだけの存在は、無くても、生きていけそうじゃないですか?
だって、無意識が100%判断して、しかも、記憶力もちゃんとあるなら、問題なく生きていけるわけですよね?
川の例なら、観測者がいなくなっても、川の流れや水量は変わらないわけです。
会社の例なら、社史編纂室が無くなっても、いきなり会社が倒産することはないわけです。
答えは、はい、生きていけます。です。

恐らく、チンパンジーや人間の幼児の様な存在になっているでしょう。
しかし、進化の過程で、観測者や社史編纂室のような機能を付随することになったわけですが、これはどういうことなのか?

それが、もう一つのキーワード、「エピソード記憶」です。

エピソード記憶とは

これは前野教授が作った言葉ではなく、記憶のメカニズムとして以前から言われていた言葉です。
簡単に言うと、ストーリー(イベント)と一緒に時間や場所、感情などを一緒に覚えている記憶です。
例えば、「恋人と一緒に見た、映画のスターウォーズが感動して忘れられない」ような記憶です。

 

映画 恋人

 

別の例では「私は最近引っ越したので、先月くらいから帰宅ルートを変更して、新居に帰っている」といった記憶です。
引っ越しの例では、エピソード記憶がないと帰る家がわからず困ってしまうわけですね。
エピソード記憶とは別で、短期記憶というものもあります。

これは、「今日朝、食べたものってなんだっけ」というような記憶です。
一週間もすれば忘れてしまいますよね。だから短期記憶です。
エピソード記憶に関しては、何となくイメージもできて、特に異論はないと思います。
では、話を進化論に戻すと、
なぜ観測者や社史編纂室の機能を付随したのか、それはエピソード記憶のためである。
というものでしたね。
そして、なぜ、そのような機能を付随したのか?

結論から言うと、より生きやすくするためです。
例えば、原始時代、食料が沢山採れたので、木の幹の中に隠したとします。

しかし、数か月経って、隠した場所はもちろん、隠したことさえ忘れているのでは生きるための効率は悪いです。
紐などの道具を作るにしたって、草の弦が丈夫で、束ねたらより丈夫になった。というエピソードを記憶できないと作れないでしょう。
チンパンジーを想像してみるとイメージがわくのではないでしょうか?
話は逸れますが、リスはどんぐりを色々な所に隠すみたいです。もちろん後で食べる目的で。しかし、しょっちゅう隠した場所を忘れるみたいです。
そのおかげで、どんぐりが拡散し森が広がるという仕組みに一役かっているわけですが。
その話を聞いたとき、なんだか可愛らしい生物だと思いましたが、リスにエピソード記憶があれば、ほとんどのどんぐりを回収し、森は広がらないわけなんですね(´・ω・`)
なんか、可愛らしさが消えた感じですね・・・
しかもいずれ、道具を使ってどんぐりを採取したり、調理したりすることになるわけですよ・・・|д゚)

では、また話を戻して、
エピソード記憶はより効率よく生きていくために付随したと考えられます。
進化論的に考えても筋の通った話です。
なので、観測者や社史編纂室の機能があるのは、エピソード記憶するためであり、それは効率よく生きるための進化であると言えます。

 

クオリアの謎

「我思う故に我あり」の、この明らかに感じている感覚、クオリア(質感)。
美味しいものを食べた時に「美味しい」と感じるこの感覚、クオリア(質感)。
タンスの角に足の小指をぶつけた時の「痛い」という激痛というクオリア(質感)。
このクオリアは結局なんなのか・・・
なんでこうも生々と感じているのか・・・

これも、「エピソード記憶をより濃くするためである。」と考えると、ある程度説明がつきます。
カロリーの高い物質である、糖分を摂取する際、「甘い」という感覚が、快感にも近いクオリアで表現され、「これ(糖分)を摂取すると、凄くいい気持になる」と幻想を感じさせる。

 

甘い 表情

 

激痛が走った時、「痛くて不快」というクオリアで表現され、「この状況が続くと身体の損壊が起こるから、嫌な気分にして近づきたくない」と幻想を感じさせる。
これをエピソード記憶として色濃く覚える。

脳科学的に言うと神経細胞(ニューロン)をつないだ、神経網(ニューラルネットワーク)が強く発火し、重くなった。ということになるらしいです。クオリアを感じる脳科学的な説明は、まだ完全には出来ないそうですが、技術の進歩、科学の進歩によって、近いうちに証明さるかもしれない、そして、ロボットにクオリアを付随し、意識があるロボットを作ることは、それほど不可能というほどのものではないと、前野教授は言われています。

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