心の地動説
「実は、地球は回っている」という地動説をご存知でしょうか?
地球は自転をしながら、太陽の周りを周っているという説です。
「いやいや、地球が太陽の周りを周っているなんて、小学生でも知っていますよ!」
現代ではもちろん、そういった発言が多く、大多数を占めていると思います。
ある種の”常識”だと言われていると思います。
しかし、今から500年前までは、地動説は常識ではなく、非常識でした。
なぜなら、どう見ても、どう感じても地球は動いておらず、天が動いているようにしか考えられなったからです。天動説と呼ばれるものです。
直感的には非常識に見えても、実は真理であったりすることはあると思います。
そして私も、非常識を承知で、主張したいことがあります。
「実は、心は存在しない」ということです。
心の地動説
結論から言うと、心や意識、魂、気持ち、というものは存在しないということです。
「いやいや、存在しているじゃないか!」
「今も意識あるよ!」
そう反論があるのは百も承知です。
私自身、今も、心や意識、気持ちというものを感じ、魂のような存在も感じています。
しかし、それらは全て幻想のようなものであると考えています。
「存在しない」と言ったり、「実は感じている」と言ったり矛盾しているように聞こえると思います。
私も、このモヤモヤとした感覚を説明するが難しいのですが、
ここで、地動説と天動説の対比の例を挙げて説明したいと思います。
「心は存在しない」の具体的な説明はこちら→https://tukushinnbo-suzuki.com/nayamikaiketu/
直観的にみた天動説と地動説
天動説は紀元前4世紀からコペルニクスの登場する16世紀ごろまでの約2000年間もの間支持されてきました。
支持されてきた理由は大きく2つ
①太陽が毎日東から昇り、西に沈む、星々も東から西に移動する。よって天が動いている。
②神が天を動くように創ったから(宗教的な意味)
私は宗教家ではないので②については言及しませんが、
やはり、①の「太陽が動いている」ということが特に大きい理由ではないでしょうか?
だって、そうですよね?
どう見たって太陽や星は動いていますよね?
逆に太陽の位置を見て、「あ、地球が少し動いた」と感じる人はほとんどいないのではないでしょうか?
夕方になって「もう暗くなってきた、地球の自転は早いな・・・」
季節が変わって「もう、秋か・・・地球の公転は早いな・・・」
なんて思いませんよね?
「実は、地球は動いていなくて、太陽が地球の周りを周っているんだよ!」
と言われたほうが、直感的にはしっくりきませんか?
私は、きっと、天文学の知識や、宇宙からの地球の映像などがなければ、未だに地動説を否定すると思います。
「だって、地球って今動いていないじゃないですか!?」
「いやいや、どう見たって太陽が昇っているでしょ!?」
何も知識がなければ、絶対にそう言っています。
直感的には地動説より、天動説を支持したくなりませんか?
直観的にみた”心の天動説”と”心の地動説”
「心は体の中心にある!」
「心は人間一人ひとりに存在する」
これが以前の私の考え方、そして多くの人間の考え方だと思います。
これを便宜上”心の天動説”と名付けます。
”自分を中心に見る考え方”と”地球を中心に見る考え方”を天動説と結びつけています。
これに対し、”心の地動説”は
「心は存在しない」
「人間はアミノ酸と電気の集合体でしかない」
という主張になります。
直感的には、
「いやいや、だから、心はあるって!」
「だって、今感じているじゃん!」
と感じ、”心の天動説”を支持したくなると思います。
私もそうです。
直感的には「心はある」と感じています。
しかし、
地球の自転や公転を感じれられなくても、地動説を信じている皆さんと同じように、
心が存在しないことを感じられなくても、”心の地動説”を信じているという理屈になります。
心の地動説の科学的根拠
地動説には、コペルニクスを初め、ガリレオガリレイ、ニュートン、といった偉人たちが、科学的根拠をもとに、主張し、証明してきました。
私は、宗教家ではないので、スピリチュアルな観点から、「心は存在しない」と言っているわけではありません。
心の地動説の科学的根拠はずばり、
1983年のリベット実験です。
簡単に説明すると、指を曲げたときの脳波を測定した実験です。
「指を曲げると意識した時間」を覚えておいて、「実際に指を曲げようと脳波が動いた時間」を測定したものです。
結果は、「曲げると意識する前に脳波が動いていた」という衝撃的なものでした。
他にもリベット実験に類似する研究は行われましたが、今現在リベット実験を否定する根拠はでてきていません。
リベット実験の具体的な説明はこちら→https://tukushinnbo-suzuki.com/kagakutekikonnkyo/
複雑さゆえに難しくなる
天動説を支持していた天文学者のイメージする星の動きは次の図のようなものだったらしいです。
どうでしょう?
率直に言って、無理がある星の動きではないでしょうか?
「もし、こう動くのであれば、なんでこんな複雑なの?」
という疑問は2000年間感じられたことでしょう。
それでも、地球が動いているという発想にはならず、あるいは発想にはなっても否定して、
複雑でもない天体の動きを、難しく考えて、複雑な動きを頑張って証明しようとしてきたのです。
全ては地球が動くと考えられなかったために・・・
地球も動くと考えれば、次のような図になります。
みなさんがよく見る天体図ですね。
これなら、すんなり「わかりやすい」と感じるのではないでしょうか?
「心の存在」も複雑に考えるから難しくなるのだと思います。
全ては「心が存在するとしたら」という前提に考えられています。
心があるのなら、どこに?なぜ?いつから?どうやって?という疑問が出てきてしまうのだと私は思います。
「実は、心は存在しない」という前提にたてば、人間の存在、生命の存在も単なる現象に過ぎず、
「実感している」という幻想を見ている。という結論である程度シンプルにまとまるのではないかと私は思います。
天文図のように、図解で示すと
みなさんがイメージする心の存在は下記の図のような感じではないでしょうか?
赤色が心だと表現しています。
私がイメージする”心の地動説”は異なり、次のイメージです。
あるいは、赤枠は書かずに暗黒だけを表現すべきかもしれません。
いかがでしょうか?
直ぐに理解して、信じてもらえるとは思っていません。
私も、知識がない状態で、「地球は回っている」と言われても絶対に信じません。
なんなら、知識がある今でも、「地球が回っている」と実感はできません。
「心は存在しない」という話も同じことです。
ここは一つ、地動説のように、「心は存在しないかも」という立場にたって、
世の中の神羅万象を見てみるのはどうでしょう?
きっと、今まで合点がいかなかったことでも、文字通り「コペルニクス的転回」により、
様々な事実や真理に気が付けるのではないでしょうか?