意識は幻想

悩み解決

 

意識は幻想なんです。

そう聞いて、どう感じますか?
「いやいや、そんなことないですよ・・・」
「だって、間違いなく私は今、自分の意識をはっきり持って、間違いなく自分の意思で、この文章を読んでいるわけですから!!」
そう思いますよね・・・
私も以前はそう思っていました。

 

「意識は幻想で、あなたは本当は考えていない」なんて言われると、
「え?馬鹿にしているのか!!」
「絶対にあるよ!!今間違いなく意識しているから!!」

 

怪しむ女性

 

そう否定したくなりますよね・・・
でも、これは宗教的な意味合いでも、心理学的な概念でもなく、科学的な事実なのです。

 

リベット博士の実験

 

ここからは、科学的根拠の一つである有名な実験を紹介します。
1983年のリベット博士による実験、通称リベット実験です。
簡単に説明すると、脳波と実際に指が動くまでの時間を計測した実験です。
詳しく知りたい方は、「リベット実験」で検索すると直ぐに出てきます。
脳波を計測しながら、指を動かしたいと思った時の時間を覚えておいてもらい、
実際に指が動くまでの時間を計測するというものでした。

 

リベット実験

 

つまり、
A「指を動かしたい。と意識した時間」(被験者に覚えておいてもらう)
B「脳が指の筋肉に指令を出す準備をした時間」(脳波を測定)
C「実際に指が動いた時間」(実験者の目視で観測)
このA、B、Cの微妙な差を計測する目的で実験が開始されました。
ここまで聞いていて、
「あーAからBにかかる時間がすごく短くて0.1秒くらいで、BからCが0.2秒くらいかかるって話ね・・」
そう思いますよね!!
細かい秒数は置いておいて、少なくとも、A-BーCの順で実測されたと思いますよね!!
99.99%の脳科学者、及びリベット博士本人もそう思って実験しました。
ところが、科学的事実は衝撃的なものでした。

 

結果は・・・・
・・・
・・
B-A-C

!?・・・・BーAーC・・・だと!!
鈴木の書き間違いではなくて?
はい、書き間違いではありません。
B-A-Cです。
もっと言うと、「指を動かすぞ」という意識の0.35秒前に脳波が探知されています。
「指を動かすぞ」という意識の0.2秒後に指が実際に動く。といった結果です。
B(-0.35秒)ーA(ゼロ)ーC(+0.2秒)

つまり、「指を動かすぞ」と思うより先に、
脳は指を動かす準備にとりかかっているのです!!
・・・・
・・・
そんな馬鹿な!!

 

ショックをうける男性

 

そう思う気持ちはわかります。
私も衝撃を受けました。
因みにリベット博士自身も、何かの間違いだと信じ、自分が死ぬまでこの結果を認めてはいません。
被験者が嘘をついていたり、何か他の器具が壊れていたのでは?
当時の脳科学学会もそういう姿勢で取り組んでいました。
しかし、それから、40年あまりたった今、同じ実験や似たような実験でリベット実験を否定しようと多くの学者が試みましたが、リベット実験を裏付ける証拠ばかり見つかり、現在なお、否定できる証拠は見つかっていません。
それどころか、現在の脳科学者の認識では、脳は4秒から8秒前には少なくとも指を動かす準備をし始めている。
という見解になっています。
「意識は幻想である。」という方向性がおわかりいただけたでしょうか?
賛否はもちろんあると思います。
どんなに証拠を出しても、その証拠が間違っていて、ねつ造されている。
という反論もできると思います。

 

意識はどういうメカニズムなのか

仮に、リベット実験が科学的事実だとして、「今、私が意識しているこの感覚、感情、意思、思考、を実際感じている」(脳科学ではこれを”クオリア”と呼ぶので以下クオリア(質感)とします)
この、思っている意識、デカルトの「我思う故に我あり」で意識できるこの感覚、クオリア(質感)はどういう現象なのか?
100%科学的に証明されているわかけではありませんが、私は、現在慶應義塾大学の教授である、前野隆司教授の「受動意識仮説」で説明できると思います。

※前野教授に許可をもらっているので、大学でのセミナー講座の動画と著書を紹介させていただきます。

動画はこちらクリック https://www.youtube.com/watch?v=Ox8gJEIe5Ac&t=3470s

著書、「脳はなぜ「心」を作ったのか」 「錯覚する脳」 「脳の中の「私」はなぜ見つからないのか?」他にもありますが、受動意識仮説がメインなのはこの3冊です。
そして、この並び順で読んでもらえると一番理解しやすいとのことです。
前野教授の専門はロボット工学で、ロボットに心を持たせるには・・・とういう目標から、人間の心とはなんなのかを科学的に研究されてこられた方です。
心を科学的に検証している内に、「あれ?意識って幻想なんじゃないか?」と仮説を立てられたとのことです。
受動意識仮説でキーワードとなるのは、「無意識」「エピソード記憶」です。

 

無意識とは

無意識とは、私のブログでも何度か出てきている言葉ですが、簡単に説明すると、心理学者のフロイトが発見した意識です。
一番わかりやすいのは、心臓の鼓動は、無意識で動かしているという説明でしょうか・・・
目の前に物が飛んで来たら、思わず避けたり、目をつぶってしまう、反射なども無意識です。
歩く動作も無意識です。
右足の腿の筋肉に力を入れて、右ひざがの角度が90度になったら、上半身を進行方向に5度傾けて、地面と右足の裏の距離が30センチ以下になったら、右足の踵から落ちるように足首の角度を調整して・・・一歩を踏み出す。
次に、左足の腿の筋肉に力を入れて・・・・
なんて、細かく意識して歩いていませんよね?(^^♪
そもそも、動くときに筋肉を細かく収縮させて動いているって感覚全くないですよね?
そう考えていくと、ほとんど無意識なんです。
心理学の解釈では95%くらいが、無意識で、5%くらいが意識(顕在意識)だとされています。

 

氷山無意識

 

そこまでは、私もカウンセラーとしての勉強で学んでいました。
「95%も無意識で生きているのか・・・」と驚かれる方もおられるかもしれませんね。
私も勉強して始めて知った時は、「え?逆じゃなくて?5%が無意識で、95%が意識なんじゃないの?」と思いました。
無意識が95%くらいである・・・ここまでは、いいでしょうか?
100年近く前から言われていることなので、それほど異論はないと思います。

しかし、受動意識仮説では、この無意識が100%だという主張になります。
意識は能動的(自ら進んで働きかける)ではなく、受動的(他から働きかけられる)であると言っているわけなので・・・
全ては無意識がしている。という立場です。
もう少し正確に言えば、

 

「リベット実験などの科学的事実から仮説をたてると、そう考えるのが自然である」という立場です。

 

前野教授は
「意識を川に例えるなら、上流の源泉各所で湧き水の量を全てコントロールして、下流での流れ方や流れる水の量を決めている。というイメージしづらい(かつ脳の情報量オーバー)状態であるより(図1)

意識の上流

図1

上流で源泉各所から勝手に湧き出てきた水が、自然に集まって大河になり、その結果を下流の『私』が眺めているだけ。と仮定すると、多くの現象の辻褄があう」と言われています。(図2)

意識の下流

図2

これを具体的に、今のあなたの意識に例えると、
「鈴木のブログを読むぞ」と意識をされたわけですが、
図1のように、
「今日はインターネットで新しい概念を知ろうと決めた、検索していたら、鈴木のブログにたどり着いた、『意識は幻想』と題名がある、
どういうことだ、意識はあるは間違いないのに、何が幻想だというのだ!?疑念の気持ちが高まったことを確認したので、8割がた否定的な感覚でこのブログを読むことを決めた。」
などのように、事細かい動機の基、今ブログを見ているのでしょうか?
どちらかというと、図2のように
ボヤっとネットサーフィンしていたら、ボヤっと気になる題名が見えて、ボヤっとクリックしてみて、まあ、何かの参考にはなるかも・・」くらいな感覚だったのではないでしょうか?
ブログを紹介されて見ている方も、
ボヤっと時間できたし、なんか鈴木が言っていたし、まあ読んでみるか・・・」くらいの感覚ではないでしょうか?
どうでしょう?
受動意識仮説のイメージはつかめたでしょうか?
前野教授は、ダーウィンの進化論から言っても、昆虫(反射やちょっとした記憶)→魚類に始まる脊椎動物(反射、記憶に次いで学習くらいはあるが、多分意識ない)→鳥類や霊長類(反射、記憶、学習ある、多分意識ある)、当然全て受動的な反応といった進化で環境に対応してきているのに、
急に→人類(反射、記憶、学習能力、自己意識ある、しかも能動的な意識)となるのはあまりにも不自然。
このステップには、無意識の神経を全てコントロールする指令塔のような今までにない神経回路が、霊長類から人類に進化する際急に出現することになり不自然。

進化

しかし、受動的な意識は変わらず、結果を観測するだけのシステムだけ進化したと考えると自然。
川の図で言うと、川は元々流れていた。その下流に観測者が座って流れを認識する仕組みは難しくない。
逆に、全ての源泉の水の量を把握するような仕組みは難しく(現実的に不可能)進化論に反する。
というような解釈も言われています。

「意識は幻想である」を、この川の例で言えば、大河の流れを見て確認している観測者である。と言えます。
しかし、その観測者が

「私は川を見ているだけじゃないよ!!源泉の水の量や、川の形や速さ、全て決めてきて、その思い通りの結果を見ているのさ」
と本気で信じている状態が、我々が「意識がある」と感じている正体です。

 

他の例で言うと、会社を自分の身体だとします。

会社 起業

 

そして、自分が会社を動かしているワンマン社長だとします。
この時、「ワンマン社長こそが自分の意識である。だって実際に考えて手足を動かして行動しているのだから。」
というのが、今まで言われてきている概念。川の例で言えば上流の源泉を全て管理して川の流れを管理していると思っている図1.
受動意識仮説の概念で言うと、会社の社史編纂室(会社の歴史を資料にまとめてたりする仕事)の担当者が受動意識仮説が主張する意識になります。
イメージは、社史編纂室の担当者が会社の資料を整理しながら急に、

「この仕事、社長の俺が考えて、実行して成功に導いた仕事なんだよね」
と大声で言っているようなものです。しかも、本気でそう信じて・・・

編集者

 

この社史編纂室の担当者の脳裏にあるものは「幻想」以外の何物でもないですよね?
ものすごく滑稽で哀れに見えるかもしれませんが、これが今、我々が意識だと認識しているものの正体なのです。

どうでしょうか?
意識は受動的に無意識が実行した結果を眺めて認識しているだけの存在という結論がお分かりいただけたでしょうか?
直ぐに全てを理解するのは難しいと思いますが、今は、漠然と「脳科学的にはそうなのね」くらいに留めて次に行きましょう。

次は、「結果を見るだけの存在なら、じゃあ何で、わざわざ意識なんてものが必要なのか?」という話です。
川の例で言えば、下流で座り込んで流れを見ているだけの存在なんて、必要なのか?という話です。
会社の例で言えば、社史編纂室の担当者は本当に必要なのか?という話です。
(実際に社史編纂室で働いている方の必要性を問うているわけではありません。説明上の例だと認識して下さい。社史編纂室も立派な仕事です)
というのも、別に確認しているだけの存在は、無くても、生きていけそうじゃないですか?
だって、無意識が100%判断して、しかも、記憶力もちゃんとあるなら、問題なく生きていけるわけですよね?
川の例なら、観測者がいなくなっても、川の流れや水量は変わらないわけです。
会社の例なら、社史編纂室が無くなっても、いきなり会社が倒産することはないわけです。
答えは、はい、生きていけます。です。
恐らく、チンパンジーや人間の幼児の様な存在になっているでしょう。
しかし、進化の過程で、観測者や社史編纂室のような機能を付随することになったわけですが、これはどういうことなのか?

それが、もう一つのキーワード、「エピソード記憶」です。

エピソード記憶とは

これは前野教授が作った言葉ではなく、記憶のメカニズムとして以前から言われていた言葉です。
簡単に言うと、ストーリー(イベント)と一緒に時間や場所、感情などを一緒に覚えている記憶です。
例えば、「恋人と一緒に見た、映画のスターウォーズが感動して忘れられない」ような記憶です。

 

映画 恋人

 

別の例では「私は最近引っ越したので、先月くらいから帰宅ルートを変更して、新居に帰っている」といった記憶です。
引っ越しの例では、エピソード記憶がないと帰る家がわからず困ってしまうわけですね。
エピソード記憶とは別で、短期記憶というものもあります。
これは、「今日朝、食べたものってなんだっけ」というような記憶です。
一週間もすれば忘れてしまいますよね。だから短期記憶です。
エピソード記憶に関しては、何となくイメージもできて、特に異論はないと思います。
では、話を進化論に戻すと、
なぜ観測者や社史編纂室の機能を付随したのか、それはエピソード記憶のためである。
というものでしたね。
そして、なぜ、そのような機能を付随したのか?

結論から言うと、より生きやすくするためです。
例えば、原始時代、食料が沢山採れたので、木の幹の中に隠したとします。
しかし、数か月経って、隠した場所はもちろん、隠したことさえ忘れているのでは生きるための効率は悪いです。
紐などの道具を作るにしたって、草の弦が丈夫で、束ねたらより丈夫になった。というエピソードを記憶できないと作れないでしょう。
チンパンジーを想像してみるとイメージがわくのではないでしょうか?
話は逸れますが、リスはどんぐりを色々な所に隠すみたいです。もちろん後で食べる目的で。しかし、しょっちゅう隠した場所を忘れるみたいです。
そのおかげで、どんぐりが拡散し森が広がるという仕組みに一役かっているわけですが。
その話を聞いたとき、なんだか可愛らしい生物だと思いましたが、リスにエピソード記憶があれば、ほとんどのどんぐりを回収し、森は広がらないわけなんですね(´・ω・`)
なんか、可愛らしさが消えた感じですね・・・
しかもいずれ、道具を使ってどんぐりを採取したり、調理したりすることになるわけですよ・・・|д゚)

では、また話を戻して、
エピソード記憶はより効率よく生きていくために付随したと考えられます。
進化論的に考えても筋の通った話です。
なので、観測者や社史編纂室の機能があるのは、エピソード記憶するためであり、それは効率よく生きるための進化であると言えます。

 

クオリアの謎

序盤でお伝えした、「我思う故に我あり」の、この明らかに感じている感覚、クオリア(質感)。
美味しいものを食べた時に「美味しい」と感じるこの感覚、クオリア(質感)。
タンスの角に足の小指をぶつけた時の「痛い」という激痛というクオリア(質感)。
このクオリアは結局なんなのか・・・
なんでこうも生々と感じているのか・・・

これも、「エピソード記憶をより濃くするためである。」と考えると、ある程度説明がつきます。
カロリーの高い物質である、糖分を摂取する際、「甘い」という感覚が、快感にも近いクオリアで表現され、「これ(糖分)を摂取すると、凄くいい気持になる」と幻想を感じさせる。

 

甘い 表情

 

激痛が走った時、「痛くて不快」というクオリアで表現され、「この状況が続くと身体の損壊が起こるから、嫌な気分にして近づきたくない」と幻想を感じさせる。
これをエピソード記憶として色濃く覚える。
脳科学的に言うと神経細胞(ニューロン)をつないだ、神経網(ニューラルネットワーク)が強く発火し、重くなった。ということになるらしいです。クオリアを感じる脳科学的な説明は、まだ完全には出来ないそうですが、技術の進歩、科学の進歩によって、近いうちに証明さるかもしれない、そして、ロボットにクオリアを付随し、意識があるロボットを作ることは、それほど不可能というほどのものではないと、前野教授は言われています。

さて、受動意識仮説の説明は以上ですが、実は前野教授が考える前に、言葉は違いますが、同じような思考を持った方がいます。
本題の受動意識仮説の説明ではありませんが、この説を裏付ける意味でも是非紹介させてください。

 

「意識は幻想である。」は昔から言われてきている

 

結論から言うと、言ったのは仏陀です。
そう、仏教の創始者、ゴータマ・シッダールタさん、通称お釈迦さまです。
先に言いますと、私と前野教授は仏教徒ではありません。なので、宗教的な仏教の話をしたいのではなく、釈迦個人の思想をお話しします。

 

釈迦

 

まず、釈迦は2500年位前の人物だと言われています。
釈迦族の王子として裕福な家庭に産まれたとされています。(釈迦族に産まれたので後世で釈迦と呼ばれたみたいです)
29歳で妻子や地位を捨て出家します。最初は断食のような苦行によって悟りを開くことを目指していましたが、35歳のある日、苦行では悟れないことに気づき、菩提樹の木の下で瞑想しているときに、悟りの境地に至ったと言われています。

その悟りの境地は「無我」だと言われています。
「無我」とは、直訳すると、「私は無い」と「私では無い」のどちらかだとされています。
今でもはっきりとはしないらしいです。あるいは両方の意味だともされています。
さて、この「無我」ですが、何となく、受動意識仮説に似ていると思いませんか?

お坊さんにいきなり、「いいですか、私というものは無く、無我なんですよ・・・」
と言われたら、「いやーそうですか・・・修行されて煩悩をなくされたんですね・・・」
みたいにわからなくて、適当に答えたくなりませんか?
でも、リベット実験に端を発した、意識する前に既に無意識が判断している科学的事実を知った今、
「む、そうか!意識が幻想を見せられているとすると、今意識している『私』というものは無いとも言えるな・・・
なんて感覚になりませんか?

また、「私では無い」という意味も、受動意識仮説の川の下流の、観測者の存在を知った今、
「そうか!観測しているだけなんだから、ある意味では、『私では無い』んだな・・・
そんな感覚になりませんか?
「『私は無い』『私では無い』二つの意味でも言っている。という感覚もなんとなくわかる気がする・・・」
そんな感覚になりませんか?
宗教の研究者から言わせると、全然違うよ!なのかもしれませんが、少なくとも私と、前野教授は無我を科学的に説明すると、受動意識仮説が近いと思っています。
因みに、受動意識仮説を読んだ仏教の宗教家の方が、「この説は『無我』の二つの意味が両方の意味であるという証明になるかも」と喜ばれたと前野教授が言っていたので、多分宗教学者が聞いても、全然違う!とはならないと思っています。
実際、仏教で有名な「般若心経(仏陀が弟子のサリープッタに伝えた言葉)」の中に「色即是空、空即是色」という教えがあり、
直訳すると、「色は即(すなわ)ち、是(これ)空(である)」「空は即ち、是色である」となります。
広辞苑で色即是空をひくと、「色とは現象界の物質的存在、そこには固定的実態がなく空であるということ。」とあります。

 

色即是空

 

これだけの文章で考えると「うーん・・現象界ね・・・物質的存在・・・固定的実体ね・・・」となりそうですが、

「クオリアは幻想なんだよ!」と言われると、「あー先ほどの説明ね・・・」ってなりませんか?
つまり、「クオリアは幻想だが、全く無いってわけでもなくて、幻想をクオリアとして感じているんだよ」
って言われると、「あー確かに!!」ってなりませんか?
私は、仏教徒ではないし、宗教家でもないですが、釈迦の言いたいことの方向性は想像がつきます。
私が無いのだから、他者もない、自己と他を分ける必要もない、自分が個ではなく、ただの世界の現象の一部だとすれば、私という存在だけでなく、全ての存在(生き物だけでなく)が影響しあっている、一つの大きな存在である。
のような方向性だと思っています。かってな解釈なので全然違うかもしれませんが・・・

 

悟るには

悟りについて私の主観を述べたいと思います。
多分、理解的には受動意識仮説の感覚でいいのだと思いますが、それだけでは悟ったとは言わないのではないかと思います。
体感して初めての悟りだと思っています。
つまり、瞑想のような状態を続けて、クオリアが幻想であると実感することと言いましょうか・・・。
説明が難しいので、錯視を例に伝えたいと思います。
錯視も目が騙されているような感じがしますが、列記として脳が騙されています。
まずは下記の図3をご覧ください。

 

錯視例

 

図3

チェッカーシャドウ錯視という有名な錯視です。
図3の中のAのタイルの色とBのタイルの色が違うように見えますが、本当は同じ色なのです。
「いやー絶対にBの方が薄い灰色でしょ!!」ってなりますよね?
ハイ、これを脳が騙されているといいます(^^♪
この、チェッカーシャドウ錯視で脳が騙されている状態を、『無意識さん』にクオリアを感じさせて騙されている状態とします。
因みに錯視の場合は補助があると簡単に騙されなくなります。
図4をご覧ください。

 

錯視解決

図4

 

ハイ、一発でわかりますね(^^♪
補助線恐るべし!!
しかし、クオリアに対して補助線を引くことはできません。
(科学の進歩でこれができれば、誰でもクオリアが幻想だと認識できて無我を感じられると思っています)
(脳に悪戯されるようで、少し怖いイメージですが・・・)
でも、補助線なしでも色が同じだと錯視を突破することができます。
もう一度やってみましょう!!

目の焦点をずらして、全体をボヤっと見るようにしてください。
立体図形だと認識しないように・・・
イメージは右の円柱がただの緑の存在に感じるくらいボヤっと・・・
じゃあもう一度図3を下に出しますので、トライしてみてください。
いきますよ!!

錯視例

 

どうでしたか?
AとBが同じ色になりましか?
できない方はこれから先の感覚を伝えにくいので再度トライしてください。
寄り目みたいにするとよいかもしれません。
では、AとBが同じ色に見えたとして話を進めます。
先ほど、AとBが同じ色だと認識したとき、目の機能と脳の機能がボーっとしたような感じがしましたよね?

これって、要するに機能低下なんですね(^^♪
感覚が鋭くなったとかではありません。
図形や、明暗を脳で識別できなくなっただけです。(正確には弱まっただけ)

これでクオリアの幻想を打破するという作戦です。
つまり、クオリアを識別している感覚を鈍くして幻想の先の真実に気がつくといったものです。
恐らく、修行僧が行っている修行や瞑想は、こういった脳の機能を低下させ、気づいていくのだと思います。
悪く言えば機能低下ですが、よく言えば、フロー状態やスポーツ選手のゾーン状態といわれる状態です。
実際、断食や瞑想下でも前頭葉や側頭葉の機能低下は確認されているので、作戦の方向性はあっていると思います。
しかし、断食や瞑想はちょっとハードルが高いので、まだ考えていません。
今考えているのは、前野教授お勧めのアイソレーションタンクです。

 

アイソレーションタンク

 

私も会員のこころ道さんの写真とHPです→http://www.cocorodo-float.com/

簡単に言うとリラクゼーションの一種で、幅2メートル位の高濃度の塩水が張ってあるタンクの中に入り、光と音を完全に遮断するものです。
高濃度の塩水に浮かぶので、重力もあまり感じなくなるらしいです。
ヨガの修行僧が10年かかって到達できる瞑想状態に到達できるともいわれています。
前野教授はそういった状態には全くならなかったらしいのですが、私もチャレンジしてみる予定です。
チェッカーシャドウ錯視を打破して、同じ色が見えたように、クオリアという幻想を打破したとき、なにを感じるのかはとても楽しみであり、少し不安でもあります。(´・ω・`)
だって、その先に行ったら未知の世界を体験することにもなって、本当に帰って来れるのかな?って思いませんか?(´・ω・`)

 

私の感じた無我の境地

最後に、私が感じた主観ですが、無我はこんな感じです。というものをできるだけ共有したいと思います。
因みに、この無我は仏陀の教えを勉強したり、前野教授の本と出合ったから、気が付いたというより、自問自答していて、「あれ?意識ってないかも?」と思ったのが最初です。
それから、似たようなこと感じたって人いないかな?って調べていたら、前野教授にたどり着き、その中で、受動意識仮説を知って、釈迦の「無我」を知ったという流れです。

なので、私としては、「あーあの感覚が無我なんだ・・・」という感じです。
最初は「意識が無いかもって気が付いた俺、すごくね?」と思っていました。
前野教授も「受動意識仮説思いつたの自分が初めてじゃない?」と思ったと言っていました。
調べたら、2500年も前に既に言われていたのか・・とちょっとショゲたらしいです。
私はもう少しショゲましたね。
「気が付いただけでもすごい」と思っていたのに、既に科学的に研究して論文まで書いている人がいて、更に2500年も前から言われている有名な話であった、と知ったときは、「上には上がいるものだ・・・」とある意味感服しました。

前野教授もすごいですが、釈迦は科学的知識ゼロから瞑想だけで、この事実に気づくなんて、教祖としてというより、ゴータマ・シッダールタという人そのものを尊敬しましたね。
多分私が自問自答を繰り返しても、「何となく意識は無いっぽい」で止まっていたと思います。
当たり前ですけど、「釈迦スゲーって改めて思いました。」
まあ、相手は仏様なので、私が足元にも及ばないのは当然かもしれませんが、逆に言えば、「意識は無いかも」って気が付いた時点で、足元くらいには及んだのではないかと、前向きにとられています。(^^♪

前置きが長くなりましたが、どんな感覚で、「意識がないかもしれない」と感じたのか、共有します。

ここで一応注意をしておきます。
もし、「意識はない」つまり無我を本当に共有できて感じた場合ですが、(私としてはもちろん嬉しいです)受動意識仮説を説明すると、大きく3つのパターンに分かれるらしいです。

まずは、A、そもそも伝わらず理解してもらえないパターン

次に、B、ポジティブにとらえて「じゃあ無意識を味方にしよう」とチャレンジしようとするパターン(私や前野教授)

最後に、C、ネガティブにとらえて、「じゃあ生きていても意味はないんですね」とニヒリズム(虚無主義)にとらえるパターン

 

暗い 会社

 

Aの場合は残念ですが、特に問題はありません。Bももちろんありがたいだけです。
問題はCの発想になった場合、それは私も前野教授も、恐らく釈迦も本意ではないという事です。
確かに、無我や受動意識仮説は理屈の上では、虚無になりますから、生きている意味があるのかないのか?みたいな問いだと、「生きている意味はない」という答えにもなるかもしれません。

実際私も、「生きている意味ってないのか・・・」とニヒリズムに近い感覚になるときもあります。
しかし、こんな感覚でとらえて欲しいと思います。
「本当は無いかもしれないが、幻想でも感じているのだから、ラッキー!!」
「本当は無いのに、あるように思わせてくれるなんて体験しなきゃもったいないよ!」
まあ、そもそも共有が上手くいったらの話で、「鈴木の共有、意味がわからん」となればそんな心配はいらないのですがね・・・

また、話がそれましたが、早速始めます。
まず、「自分の意思は自由である」というのであれば、自由な想像をしてみてください。
どんな想像でもいいので、どうぞ自由に想像したことのないもの、想像したことのない状況を想像してみてください。

・・・

・・・

どうでしょう?

なにか浮かびましたか?
例えば、草原を駆け回っているシーンでしょうか?
あるいは、空をスーパーマンのように飛行しているシーンでしょうか?
あるいは、宇宙空間を漂っているようなシーンでしょうか?
いずれにしてもそのシーン、そのイメージって、どこかで見たシーンじゃないですか?
映画とか、写真とか、あるいは、小説を読んでいてイメージした時のシーンとか、(ちなみにその時のイメージもどこかのシーンの応用ですよね)

どうでしょう?
「正確にどの作品、どの映像かは覚えてはないが、確かに自分の100%オリジナルではない」という感じではないでしょうか?
そうなんです、「自由に意識している」っていいますが、

実は本当に無から想像して今まで一度も想像したことがないシーンやイメージを想像するなんてできないんだと思います。
少なくとも私はできません。(もしかしたら芸術家タイプの人間はこういったことができるのかもしれませんが・・・)
その証拠に、今からいうものを自由に好きなようにイメージしてみてください。

宇宙です。ある惑星にいます。その惑星は気体のみでできています。
そして、その惑星には気体のみの環境で独自に進化した知的生命体がいます。
ハイ、質問です。その惑星とその生物はどのような形をしていますか?

・・・

・・・

どうでしょう?

想像ですが、ボヤっと色がかかった雲みたいな上に、ボヤっとした気体の塊が浮いているようなイメージではないですか?
木星が気体であるという知識を持っている方なら、褐色の縞模様を思い浮かべたかもしれませんね?
おそらく、ほとんどの日本の成人がこのようなイメージを持つのではないでしょうか?
あれ?おかしいですよね?自由に好きなようにイメージしたんですよね?
例えば、その生命体だって、固体でもいいわけですよね?
気体の惑星という定義なだけで、固体の生命体が生まれったって自由ですよね?
生命体の大きさは?恐らく人類と同じ規模ですよね?
惑星より大きい生命体でもいいわけですよね?
併せて考えて、固体の巨大生命体が気体の惑星をすっぽり覆っていて、結果普通の固体の惑星に見えたっていいわけですよね?
逆に惑星も生命体も目に見えないくらい小さくたっていいわけですよね?

なぜ、思うほど自由な発想ではないのか?

それは、無意識が決めているからです。
無意識が、宇宙、星、惑星、気体、生命体、と情報を受け、それによって、無意識がはじき出した答えだからです。
似通うのは、宇宙の知識が映画やSF小説と小中学くらいの理科の知識しかないからです。
この質問をホーキング博士のような宇宙の専門家にすると、きっと我々が想像できないような答えを言ってくることでしょう。
例えば、「そんな環境はあり得ない!!」など・・・(え?仮定の話なのに・・)
いずれにせよ、自由意志ではなく、無意識がはじき出したイメージです。
「出たなその論理!!いや、しかし、その無数のイメージから、このイメージをチョイスしたのは間違いなく自分の意志だ
と反論が聞こえてきそうですね。
では、その無数っていくつですか?本当に100個とか瞬時に思い浮かびましたか?
せいぜい2,3個のイメージが沸いて、その中からボヤっとチョイスしただけですよね?
しかもそのチョイスって、何となく残った1つのイメージですよね?
そう自問自答していると、

「あれ?確かに自由意志で選んだというよりは、かってに残っただけのイメージのような気が・・・
なんて気持ちになりませんか?
能動的な意識というより受動的な意識である。と言われると、そんな感じがしませんか?

では、次のステップです。
今、鈴木の説明を聞きながら、考えてるイメージって、
連想ゲームのような数珠つなぎ的にイメージがつながっていませんか?
今の質問「連想ゲームのような数珠つなぎ的にイメージがつながっていませんか?」で考えたであろうことを細分化します。
鈴木だったらこんな感じです。を説明するので、他の方とは違っているかもしれません。
下記の図5をご覧ください

 

数珠つなぎ

図5

文字の下手さは今無視して、このような情報が瞬時に浮かんできて、結びつけませんでしたか?
何となくそんなイメージになりますか?

では、最後のステップです。

その結びつけって、全部意識して結びつけましたか?

・・・・

・・・

・・・

「あれ?確かにボヤっと結びついたような・・・
そんな感覚になりませんか?

ハイ、どうですか?

自由意志ってどこかにいましたか?

・・・・・

・・・

あれ?本当だ・・・?
自分で決めたって思っているだけで、結局自然に決まっているじゃん!!

なんだ、この感覚・・・

ドアの向こうに誰かいると思って開けたら、ドアの向こうは誰もいない・・・
それどころか、ドアの向こうには何もない・・・
というか、ドアもない・・・
そんな感覚になりませんか?
私は、それが無我だと思っています。
正確にはちょっとだけ無我。一瞬だけ無我。(と私は呼んでいます)
この感覚がちょっとだけ、一瞬だけでなく、ずっと続くのが無我の境地ではないかと思っています。

つまり悟り・・・
「うーん・・・直感的には、気が変になりそうな感じですけどね・・・」
「自我がないことを100%認識するわけですから、しかもずっと・・・」
「なんというか・・既に死んでいる状態で、この世を見ている感覚というか・・・」
「完全に個が100%感じない状態なので、多分その瞬時に他も感じなくなるのか・・・」
「それが、世界と一体となる感覚なのか・・・」
こればかりは、悟ってみないとわかりませんね(^^♪

どうでしょう?
ちょっとだけ無我、共有できましたでしょうか?
もしできていたら嬉しいですが、虚無感に負けず、ラッキーを感じていきましょう!!

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