意識とは何か

意識とは何か・・・
それはずばり「幻想である」
そう私は思っています。

幻想というからには、蜃気楼や、逃げ水のように実態はないが、”そこに実態がある”と誤解して認識してしまうと言う事です。

蜃気楼

意識とは幻想である。

そう言われても、いきなりで理解しがたいのはよくわかります。
これから少しずつ説明したいと思います。
(宗教的な話や霊魂的な話ではないので、スピリチュアルな回答をお求めの方はあまり参考にならないと思います)

中学や高校で原子や元素、電子などを習った時、「世の中の物質は全て原子と電子からできている」ということを知ったと思います。当然人間もアミノ酸(分子構造RーCーCOOH(ーNH₂)(ーH))と電気(電子の流れ)の塊で構成されていることになります。(図はグルタミン酸の化学式)

グルタミン酸

しかし、こんな疑問を感じませんでしたか?

「あれ?・・・原子と電気だけの集合体なら、心とか意識、自我、気持ち、魂のような感覚ってどういうことになるの?」

「あれ?・・・今感じているこの疑問を持つというリアルな感覚も原子と電気の集合体なんだろうか?」

そういったことを考えたことはありませんか?

お答えします。

科学的には、人間の心や意識も、アミノ酸と電気の塊だと考えることができます。
もちろんとても複雑で未だ全ての構造が判明したわけではありませんが、(特に脳の構造などは)
意識とは幻想であると仮定すると、多くの科学的事実と適合します。

色や音は存在しない

意識とは何か、の前に、色や音は実は存在しない、幻想である、という話です。
小中学の理科の授業で、色は光の反射が目の中に入ることで認識すると習ったと思います。
高校の科学の授業では、更に深く、色は電磁波の波長である。と習った方もいると思います。
整理すると780nm(ナノメートル)から380nmまでの電磁波の波長を人は”色”と認識します。
人が色として認識できるから、可視光、とも呼ばれています。

電磁波

そして、780nmから620nmくらいの電磁波が目に入ると、人の脳は、それを脳内で”赤”という色でペイントして、「赤い色が見えた」と感じさせます。

音は、鼓膜の振動です。こちらも理科の授業で習ったと思いますが、主に空気の振動から逆算して、「どういった音質で、どういった場所から発生したか、どういった音量なのか」を脳で瞬時に分析します。

科学的に言うと、色や音は人の脳が、目から入った電磁波の波長と、耳から入った空気の振動を、それぞれ”色”と”音”として変換しているだけの現象になります。
言い方を変えれば、色や音は本当は存在しないのに、脳内だけで感じている幻想であると言えると思います。

ここまでは、科学を勉強している方なら何となく理解して頂ける話ではないでしょうか?

色や音は幻想であるをより詳しく見たい方はこちら https://tukushinnbo-suzuki.com/iroyaoto/

暗闇に浮かぶ脳

意識とは何か、科学的な実験

意識とは幻想であるという科学的根拠となる実験を紹介します。

1983年リベット博士による、リベット実験です。
被験者の脳に電極を付けて、指を曲げるときの意識と、実際に指が曲がった時の時間を計った実験です。
「指を曲げると意識した時間」と「脳が指を曲げる準備に入る時間」と「実際に指が曲がった時間」の差をそれぞれ求めることが目的で始められた実験ですが、なんと驚くことに、「指を曲げると意識した時間」より「脳が指を曲げる準備に入る時間」の方が0.35秒早かったのです。

リベット実験

つまり、意識して指を動かすことより、先に脳が既に動いているという結果でした。
この結果は多くの科学者はもちろん、実験を行ったリベット博士自身も、「何かの間違いだ」と言って信じていなかったようです。
リベット実験を否定しようと多くの科学者によって研究や実験が重ねられましたが、40年近くたっても、結果を肯定するものばかり出て、今尚、否定するには至っていません。むしろ現代の脳科学者の間では、意識より先に脳が動いているのは常識らしいです。

リベット実験についてより詳しく見たい方はこちら https://tukushinnbo-suzuki.com/kagakutekikonnkyo/

意識とは0.35秒前の出来事を変換しているもの

色と音が幻想である。と先ほど説明しました。
色と音は本当は無くて、脳が電磁波を”色”に変換し脳内にペイントして、脳が鼓膜の振動を逆算して変換し”音”として脳内に響かせる。
意識も同じで、脳が0.35秒くらい前に決断したことを「今私が決断した」と、変換して脳内で感じているのです。
色や音はどのように感じても、直感的には”目の前にある”感じがするので、通常生きているだけでは、本当は無いと感じるのは難しいと思います。
それと同じで、意識もどのように感じても、物心ついた時から”頭の中にある”感じがするので、こちらも通常生きているだけでは、本当は無いと感じるのは難しいと思います。
そして、仮に0.35秒前の決断を、「今決断したと感じている」と仮定しても、更なる疑問が生じます。
私は先ほどから、「脳が0.35秒くらい前に決断したことを・・・」と言っています。
では、その0.35秒前に決断をしたのは誰なのか?という話になります。

誰?

答えはこうです。

0.35秒前に決断した人はいません。

そもそも決断なんて誰もしていないんです。

リベット実験で言えば、被験者が『自然と自分の指が曲がった状況を、「自分の意思で指を曲げた」と思い込んでいる』だけなのです。

リベット実験の被験者だけの話ではありません。今この文章を作成している”私”も、この文章を読んでいる”あなた”も『自然と次の文章に目を移した状況を、「今自分の意思で、鈴木の文章を読むことを決断し読んでいるのだ」と思い込んでいる』だけなのです。

反発を恐れず、もっと言ってしまえば、”私の行動”も”あなたの行動”も全て、複雑なプログラムが作動し、自動的に出された計算結果を、「私が考え付いた意思決定である」と脳に思わされているだけなのです。

プログラム

信じがたいと思いますが、科学的にはそう考えると様々な科学実験と適合するのです。
これは、鈴木個人の意見ではなく、慶應義塾大学の前野教授の受動意識仮説を基に説明しています。

意識とは100%受動的なものである

受動意識仮説をわかりやすく説明すると、会社の社長と社史編纂室担当者の関係になります。

社史編纂室とは、会社の歴史や顧客との歴史をまとめたりする仕事です。目的は過去を学び未来に生かしたり、社外へのPR活動につなげることです。

事務仕事

”あなたの身体”が”会社”だとします。
そして、”意識”が”社長”だとします。
「俺が作った会社なんだ!!全ての従業員は俺の手足のように動け!!決定権は全て俺にあるんだ!!」という超ワンマン社長のイメージが今まであなたが思ってきた”意識”ですよね?
「自分のことなんだから、自分で全て決めて動いている」あなたも今現在そういうイメージで生きていると思います。

しかし、受動意識仮説では、”意識”は社史編纂室の担当者である。という立場になります。
正確に言うと、受動意識仮説の意識とは、「自分は社長で、会社の全てを超ワンマンに仕切っている」と信じている社史編纂室担当者です。
社内での言動で言うと、社史編纂室にいるあなたは、社史をまとめながら、「おーこの仕事は、昨日、社長である俺がナイスな企画で利益を出したやつだな・・・あ、こっちの仕事は、ついさっき社長の俺が決済したやつで、きっと大きな取引に繋がると確信しているよ・・・」と独り言を言っている。当然本気で自分が社長、自分がやった仕事だと信じて・・・

会社 起業

この時のあなた(社史編纂室担当者)は、「自分が全てを決断して動かしている」と勘違いしているとしか言えませんよね?

この状態を受動意識仮説では、意識とは幻想であると言っているのです。

受動意識仮説を詳しく見たい方はこちら https://tukushinnbo-suzuki.com/jyudouisikikaseetu/

意識とは存在しないもの

意識が存在しないのであれば、当然自我や感情というものもありません。もちろん魂もありません。
それらも全て幻想ということになります。
冒頭で、「世の中全て、原子と電気だけの集合体なら意識とはどういうことなんだろう?」という話をしましたが、なんてことはない、意識なんて存在しないのです。
人間はアミノ酸と電気の塊で当っているんです。
人間は考えてもいないんです。
脳細胞の一つである神経回路に電気が流れただけなんです。
意識や心、自我、感情、魂といったものが存在する前提で話をするから話が複雑で、神秘的な結論に達してしまうんです。
蜃気楼や逃げ水の理屈を知らない昔の人々が、神の出現である、妖怪の仕業である、と思い込み議論をしたが、答えは出なかったことと同じです。そこにあるのは大気濃度による光の屈折という現象だけで、人間を騙す目的で何かが存在していたわけではないのです。

逃げ水

意識とはアミノ酸(RーCーCOOH(ーNH₂)(ーH))で結合された神経細胞に電気が流れただけの現象なのです。

電気が流れた結果、自分が決めたと思わせる仕組みが働いただけなのです。

つまり意識とは幻想なのです。

神経細胞

”意識とは幻想である”は昔から言われている

本題ではありませんが、受動意識仮説の裏付けとして、実は意識とは幻想であるという結論は昔から言われていたので紹介します。

今から2500年も前にお釈迦さまは、原始仏典スッタニパータの中で、「無我」について語っています。
無我とは、直訳すると「私は無い」あるいは「私では無い」になります。
いずれにしても、お釈迦さまは、意識や自我、感情、魂といったものは存在しないと考えていたらしいです。
リベット実験のような科学的事実も知らない状況で、瞑想だけで「無我」にたどり着くのは驚異的です。
当たり前ですが、流石お釈迦さまですね。

お釈迦さまの無我について詳しく見たい方はこちら  https://tukushinnbo-suzuki.com/mukasikara/

釈迦

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